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Statement

Statement

 

 地続きの空間で人は生きています。私はあらゆる観測を怠りたくはありません。齟齬を恐れても仕方がなくて、不一致があることを理解していける世界を望みます。経験の集合体が任意の空間に広がると、不定称の風景画として図像が現れます。その風景画は私を含む全てが紐づいた“状態”そのものです。これは量子論でいう一元論的立場です。風景=対象物に影響を与えない様に注意深く観測することとは異なり、私(観測者)を対象物へ内包したこと自体が観測の対象と考えます。私は不定称のそこに大きく関与している必要があるのです。

また、①直方体や森林の陰影を描いて形骸化されたパースペクティブや地平線の基盤にそれらを配置しながら、色彩によるコントラストは遠近の対比をひたすら無効としつつもそれが風景(のように)見えるならば、②波打つ線(のような面)が重なる順に遠景から近景へ向かわせる絵具の層のみのそれも風景画のひとつであると考えます。これらは①風景画のような抽象画と②抽象画のような風景画と呼ぶようにしています。

様態がどんなふうでも客体がどうなっても、画面に絵具を塗布し、質量を与えながら、イリュージョンを信じながら、楽しみながら、苦しみながら、目の前に表すのみです。

そして、キャンバスにはいつも余白を残します。図像の終わりをキャンバス内に明示するのです。キャンバス地から側面を通って壁面、そしてあなたが立っている地面は精神的には繋がっていません。しかし繋がりを(絵画から)物理的に辿れたら同じ空間にはいるので私たちは常に一緒に存在しています。

 

「ここ」を示したまま、その中と外とでは無限や有限がともに重なり合っています。

どこかにいつも私は在ります。 

​田中良太

© 2014 RyotaTanaka

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