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Statement
地続きの空間で人は生きています。齟齬を恐れても仕方がなくて、不一致があることを理解していけ る世界を望みます。私はあらゆる観測を怠りたくはありません。経験の集合体が任意の空間に広がる と、不定称の風景画が図像として現れます。その風景画は私を含む全てが紐づいた一元論の状態です。
風景という対象物に影響を与えない様に注意深く観測することとは異なり、私(観測者)を対象物へ内包したこと自体が観測の対象と考えます。これは量子論でいう一元論的立場を指します。あるがままの風景ではなく、私が見たことで現れる結果を描き留めること、そしてその場を描くことを重視します。
また、パースペクティブや遠近の対比に破綻を与えても風景(のよう)に見えるならば、線(のような面)や (穴のような)円形のみのそれも不定称の風景画のひとつです。提案の仕方が異なっているだけです。 場を生成するだけのトライアルを証明し終わるまで、私は塗布するでしょう。
このように私は風景画のような抽象画と抽象画のような風景画を表します。様態がどんなふうでも、客 体がどうなっても、画面に絵具を塗布し質量を与えながら、イリュージョンを信じながら、楽しみなが ら、苦しみながら、目の前に表すのみです。また、キャンバスにはいつも余白を残します。絵(図像) の終わりを明確にして、ここ(余白)からが現実ですよといった感じです。つまり「ここ」を示したま ま、その中と外とでは無限と有限がともに重なり合っています。
どこかにいつも私は在ります。
田中良太
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